止まない愚痴

再び前置きしますが

母は根はとても良い人

若い頃は結構美人でもありました


そんな母と父の馴れ初めは

父は工場長だった母方の祖父のもとで働いていて

30にもなって結婚せずふらふら遊んでる母を見兼ねて

頭の回転が早く優秀だった父を紹介したみたいです。

そこからは父の猛アタックで結婚に至ったらしい。

これはすべて母から聞かされた話です。


結婚から間も無くして日本にやってきた両親ですが

父は東京外国語大学へ入学して母は懸命にその学費を払うために働いたそう。

これで例えば父がそんな母に感謝して労っていたならともかく

働きながらも身重でつわりがひどかった母に対してかなり冷たい態度だったというのだから…

この先良くなるなんて思えないでしょうよ。。。

なんでその時に目を覚まさなかったの〜母!


まぁこれも母から一方的に聞いた話ですけどね。

これらのことを含めて母はよく父の陰口、不満を私にぶつけてきました。

典型的な毒親のはじまりはじまり。


こういうパターンの親によくありがちな

「私はあなたのために離婚しなかった」

はい、人のせいにしないで自分の選択ミスを認めてくださいね!!!って思います。


うちの母の場合は

「離婚で親を悲しませたくなかったから我慢していた」

とよく言ってました。

呆れて物も言えないですよね…

親は子の幸せを願うはず!

悪い伴侶と辛い人生を我慢して歩むより

別れて前向きに幸せを見つけるほうが

親なら喜ぶ、という思考はなかったのかしら…



結果こうして30年近くも冷めきった婚姻関係

いまだに離婚は成立していない

みんなが不幸になりました。


これは私が大学生になる頃に知ったことですが

父は私を引き取った私が6歳だった頃から外に家庭があったようで

そのため私には腹違いの弟が2人いるそうです。

父は表向き(戸籍上)は私の父ですが家にはほとんど寄り付かない人でした。

私は父に対しては本当に何の感情も持っておらず

だったら早いこと離婚して向こうの家庭で父を勤めればよかったのに、と思っています。

たぶん腹違いの弟たちは非嫡出子扱いですから…


もちろんどの道を選んでも全員幸せ!というのは

現実世界ではなかなかないことでしょう。

それでも被害を最小限に食い止めるためには母はもっと早い段階で決断をすべきでしたね。

そうすれば母も発狂期を迎えなかったかもしれません。



次回は母の恐るべき発狂時代について語らせてください。

これは今となっては完全に客観視できてものすごく興味深いです。笑

ただ当時の自分を思うとかなり不憫でしたね…


それではまた次回〜

止まない愚痴(上)

まず一言前置きさせてもらいますが

母もひとりの不完全な人間であって

根は本当に優しい良い人なんです。

↑こういうことを先に書きたがるあたりがアレですね…笑


生後2ヶ月から小学校に上がるまで

私は両親の母国で父方の祖母に育てられました。

大好きな大好きな祖母から離れ

いきなり異国でほとんど面識のない両親と暮らし始めたのは

幼心にも未だにツラい思ひ出のひとつです。


その頃から両親はすでにあまり仲が良くなかった記憶があります。

仕事が忙しかったのか、はたまた既に家庭に嫌気がさしていたのか、

今となってはわかりませんが、父はあまり家に居ない人でした。

そんな父がとても苦手で、共働きで週末も働いてた母の代わりに、土日は父と家に居たはずですが、あまり記憶にありません。

父もいきなり6才から一緒に住み始めた娘の扱いがわからなかったのでしょう。


唯一家族3人で出掛けた思い出は近くの遊園地でした。

母は乗り物が苦手で、何かに一緒に乗ってくれてそこからずっと履いてぐったりしてた記憶があります。笑


そんな軟弱な母を労わるでもなく、不機嫌な父と、

ワクワクと楽しみにしていた行く道中と打って変わって帰り道はとてもどんよりしてました。


家に寄り付かない父と

何かとおばあちゃんのところに帰りたいと言う娘を相手に

母はきっと頑張って家族をまとめようとはしていたはずですが

時折あからさまに父への嫌悪を露わにしていて

子供心にはすぐにそれに気付いていました。



そして大声で怒鳴りあう両親がとても恐ろしくて、父=悪者、母=弱者という構図が自然とできたんだと思います。

よく「毒親」の解説にあるように「母はかわいそう、私が味方になってあげないと」という強い使命感も感じていました。


こうして冷静に文字にしてみると

典型的な機能不全家族でしたね笑


次回また「止まない愚痴」

続きを書かせていただきます。



拝啓、最愛なる反面教師サマ…

ギリギリ昭和生まれ

生誕して早30年


そのうちの13年を共に過ごした

最愛なる反面教師の母について

徒然なるままに綴っていこうと思います。


というのも

ありがたいことに同棲を経て結婚を控え

振り返れば本当に凄まじい家庭で育ったんだな、と。


今後自分がシアワセな家庭を築いていく中で

再発防止というか自身を戒めるためにも

記録に残していきたい所存でありまする。



最近になって「毒親」というワードも普及してきましたが

この言葉を初めて耳にするまでは

私にとって自分の母は

どうしようもなくただただ恐ろしい存在で

一生逃れられないし逃げるなんて罪深いことはできるはずもないと思っていました。



けれど

毒親」から距離を置いて(なんなら断ち切って)自立しない限り

いつか押し潰されて自分も毒親になってしまいかねない…

そう思ったのです。


前述の通り

これは主に自分への戒めと再発防止のための非常に自分勝手なブログであり

万が一同じようなことで悩んでいたり苦しんでいる方が見てくださって

「あ、自分もそうだった」と少しでも全身にのしかかる毒親の重荷を軽減できたら幸いであります。