止まない愚痴(上)

まず一言前置きさせてもらいますが

母もひとりの不完全な人間であって

根は本当に優しい良い人なんです。

↑こういうことを先に書きたがるあたりがアレですね…笑


生後2ヶ月から小学校に上がるまで

私は両親の母国で父方の祖母に育てられました。

大好きな大好きな祖母から離れ

いきなり異国でほとんど面識のない両親と暮らし始めたのは

幼心にも未だにツラい思ひ出のひとつです。


その頃から両親はすでにあまり仲が良くなかった記憶があります。

仕事が忙しかったのか、はたまた既に家庭に嫌気がさしていたのか、

今となってはわかりませんが、父はあまり家に居ない人でした。

そんな父がとても苦手で、共働きで週末も働いてた母の代わりに、土日は父と家に居たはずですが、あまり記憶にありません。

父もいきなり6才から一緒に住み始めた娘の扱いがわからなかったのでしょう。


唯一家族3人で出掛けた思い出は近くの遊園地でした。

母は乗り物が苦手で、何かに一緒に乗ってくれてそこからずっと履いてぐったりしてた記憶があります。笑


そんな軟弱な母を労わるでもなく、不機嫌な父と、

ワクワクと楽しみにしていた行く道中と打って変わって帰り道はとてもどんよりしてました。


家に寄り付かない父と

何かとおばあちゃんのところに帰りたいと言う娘を相手に

母はきっと頑張って家族をまとめようとはしていたはずですが

時折あからさまに父への嫌悪を露わにしていて

子供心にはすぐにそれに気付いていました。



そして大声で怒鳴りあう両親がとても恐ろしくて、父=悪者、母=弱者という構図が自然とできたんだと思います。

よく「毒親」の解説にあるように「母はかわいそう、私が味方になってあげないと」という強い使命感も感じていました。


こうして冷静に文字にしてみると

典型的な機能不全家族でしたね笑


次回また「止まない愚痴」

続きを書かせていただきます。